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【街景寸考】再度、夢のこと
Date:2017年11月22日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
今日も早朝に夢を見た。最近、よく夢を見るようになった。否、そんな気がしているだけなのかもしれない。以前も夢をよく見ていたのかもしれないが、そういった実感はなかった。もっとも夢を見ると言っても、どういう夢だったのかはほとんど記憶に残っていない。
目を覚ます直前まで見ていた夢は、微かながらも筋立てや登場人物、情景まで記憶していることがあるが、それでも目覚めた直後から記憶していた映像がにわかに崩れていき、雲散霧消していくのが常である。
できるなら、夢は微かに憶えている部分だけでも、記憶に留めておきたいという思いがある。そう思うのは、夢を自分なりに分析することで、意識下で沈殿したままの過去の心の有様などを、知ることができるかもしれないという好奇心からだ。
なぜ登場人物が中学時代の友人たちだったのか、なぜその場に関係のない大学時代の友人も登場していたのか、なぜ情景が中学校の教室ではなく山あいの茅葺の家の中だったのか等を分析し、鑑識官のようにそれらを手繰っていくことで、未解決事件を解決することができるかもしれないというワクワク感もある。
悪夢を今でもときどき見る。見ても記憶に留めたいとは思わない。わたしの場合、自分が殺されかけたり、魔物から追いかけられたり、暗い穴倉に閉じこめられたりするというのが悪夢だ。ビルほどの高さのある自転車に乗り、今にも倒れそうな夢も何度か見てきた。この類の夢を見たときは、恐怖や息苦しさで目が覚め、夢だったことに心から安堵する。
悪夢を見たときは、悪夢そのものの恐怖とは別の恐怖がある。「今見ている悪夢は現実の世界ではなく、夢の世界の出来事なのだ」と認識している場合に、それは起きる。悪夢から脱出したいと必死でもがいても、簡単に目を覚ますことができないという恐怖である。
この恐怖を脱して現実の世界に戻ろうと、力いっぱい目を見開くようにするが、簡単にはいかない。何度も悪夢の中に引き戻されることもよくある。そのたびに目を見開くときの勢いに加えて、一気に蒲団から這い出ようと上半身に力を入れてもがく。もがくたびに恐怖とも何とも言えない不快感が襲ってくる。人間が時空を超えるときは、こういう感覚になるのではないかと思うほどである。
最近、思い直したことがある。夢に登場する人物や情景は、意識下に沈殿している大層な代物だけではなく、案外、淡々と経験してきた事象なども混じっていて、何かの拍子でたまたま夢になって現れてくるだけなのかもしれないと。