【街景寸考】焚き火のこと

 Date:2017年12月13日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 かきねの かきねの まがりかど
 たきびだ たきびだ おちばたき
 あたろうか あたろうよ
 きたかぜ ぴいぷう ふいている
 
 御存じ、童謡「たきび」の歌詞である。今でも冷たい北風が吹く季節になると、自然にこの歌を口ずさむことがある。小学生の頃は、この歌を教師の弾くオルガンに合わせて大声で歌っていた。歌いながら、掃き集められた落ち葉が燃やされて、煙が立ち上っている様子を想像したものだ。

 昨今、焚き火をしている光景を見ることがなくなった。見られなくなったのは、火災の危険性が指摘されるようになり、その煤のせいで隣近所の洗濯物や外壁を汚したりするなどのトラブルが増え、法令や条例で禁止するようになったからだ。

 まだわたしが子どもだった頃、焚き火は晩秋から冬にかけての日常的な光景であり、風物詩でもあった。かつて新聞に連載されていた四コマ漫画の「サザエさん」にも、竹ほうきで落ち葉を掃き集めたサザエさんが、焚き火をしながら焼き芋を焼く場面が描かれていた。

 当時は今ほど住宅が密集しておらず空き地も多かったので、焚き火をしても火災になる危険度は低く、近隣トラブルにまで発展するような時代でもなかった。加えて、密度の濃い近所つき合いもあり、焚き火が寛容に扱われていた時代でもあった。

 冬場に見られなくなったのは、焚き火だけではない。一家総出の年末の大掃除も、隣家と家族ぐるみで行っていた餅つきも、高齢者が住まう家々への訪問年始も、である。これらは、いずれも冬の風物詩として人々に親しまれてきた光景だった。無常にも、これらの生活文化が過去のものとなっていくことに、言いようのない寂しさを感じてきた。

 これら冬の風物詩は、地域コミュニティの最小単位としての役割を担っていたという点でも、共通していた。そう思うと、わたしたちはどれだけ大切な文化を捨て去ってきたのかが、今さらながら気づかされる。せめて、「焚き火」の歌は歌われ続けてほしいと願う。

 焚き火禁止の例外規定があるのなら、その規定を活かして近所の人たちと焚き火を囲んで談笑などしてみたい。その中にさつま芋が入れてあれば、なおいい。