【街景寸考】「炭住長屋のコミュニティ」のこと

 Date:2018年01月31日18時50分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 絆とは、「人と人との強い結びつき」という意味だ。ところが、その語源はと言うと、「動物をつなぎとめる綱のこと」だと書いてあった。「つなぎとめる」とは「拘束する」という意味でもあるので、それまで抱いていた絆への印象が少しだけ暗くなった。

 絆の意味が変化した経緯を知るところではないが、まんざら見当がつかないこともない。そのヒントになるのが、被災地での助け合いだ。被災者同士でお互い寄り添いながら助け合う光景から、「つなぎとめる」という語源を推測することができる。

 わたしが7歳まで暮らした炭住長屋も、住人同士の強い絆があった。ここで暮らす住人の多くは、炭鉱に働き口を求めて県外から流入してきた流れ者だった。言ってみれば、炭住長屋は文化や習慣、風土が異なる人々の集合体だった。それだけに、住人同士は敢えて気さくでフレンドリーな生き方に努め、炭住コミュニティと呼ばれる絆を築いてきた。

 住人は皆貧しかったが、そのことがかえって日常の交流を開放的なものにしていた。朝から味噌、醤油の貸し借りをしたり、おかずの差し入れをし合ったりすることができたのも、そうした背景によるものだ。水臭くすれば、大きな声が飛んできた。

 一方、こうしたコミュニティは、良くも悪くもお互いのプライバシーを希薄なものにしていた。特に向こう三軒両隣は、そうだった。「〇〇さん、おるね」と言いながら、勝手に引戸を開けて他人の家を出入りしていた。そのため、祖母がズロースを穿いているところを見られたり、祖父のコントラバスのような屁の音を聞かれたりしていた。

 子どもたちも、こうしたコミュニティの中で伸び伸び遊び回っていた。大人たちは、どの子にも声をかけ、悪さをすれば容赦なく叱った。今で言う、引きこもりと呼ばれる子どもは皆無だった。引きこもりをしたくてもできない、乱暴なコミュニティがあった。

 今、炭住長屋のような風通しの良い関係はあまり見られなくなった。ほとんどの人々が経済的に豊かになり、生活面で助け合う必要がなくなったからだ。だからといって、助け合いの関係が不要になったのかと言えば、そうとも言えない。

 世帯の孤立化が進む中で、精神的な部分での助け合いを求める人々は、むしろ増えているように思う。助けが必要なのは、経済的に困っている人たちだけではない。

 こうした閉塞感から抜け出すには、お互いの胸のうちをさらけ出していく関係づくりが必要になる。時代錯誤と言われかねないが、炭住長屋での乱暴なコミュニティに解決の糸口があるやもしれぬ。