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Date:2018年03月14日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
小学生の孫たちの成績が優秀のようだ。わたしの小学生のときとは大分違うので、嬉しくはあるが、複雑な気持ちもある。しかも学業だけではない。小学1年生の中で一人だけ一輪車を乗りこなす孫娘もいれば、作文や絵画で優秀賞をもらってくる孫娘たちもいる。
わたしの場合は、小中学生時代に賞状というものをもらったことがない。唯一、高校時代の運動会のときの賞状だけである。カミさんの場合は、座敷の壁に貼り切れないほどの数をもらっていたようだ。
孫たちに言わせると、「勉強するのが楽しい」というから、驚く。わたしは大の勉強嫌いだった。自分がそうだったので、自分の子どもたちに「勉強せんか」と言ったことはない。カミさんもわたしに合わせてなのか、言ってはこなかった。それに、てっきり自分と同様に我が子らも勉強嫌いだと思い込んでいた。
近所の子どもは例外なく学習塾に行き、行っていなかったのは我が家の子どもだけだった。もっとも塾に行きたがっても我が家の経済では4人全部行かせるのは無理だったかもしれぬ。それが良かったのか悪かったのか、彼らは昭和30年代の子どものように伸び伸びと遊びほうけていた。
そんな子どもたちが、急に勉強するようになったのは高校を卒業してからだった。色々な書物を読み始めるようになったのもその頃からだった。その辺の変わりようは、わたしのときとそっくりだったのでおかしかった。
違っていた点があるとすれば、進学に際しての心構えだった。彼らはただ単に「大学に行きたかったから」というだけではなく、大学を出た後の生き方まで考えていたように思えた。わたしの場合は、自分が何者なのかが分からないまま社会人になるのが不安だったので、「とにかく大学に行っておこう」という、いい加減な気持ちで選択しただけだった。
孫娘たちのように楽しく勉強ができていれば、わたしも高校生になった辺りから将来を見据えた考えを持つことができたのかもしれない。このことを、これまでずっと後悔していた。教師たちが、もっと勉強が楽しくなるような教え方をしていてくれたらとも思った。この齢になってようやくそのことが分かるようになった。
後悔と言えば、もっと大きな後悔がある。かく言うわたしも、自分の子どもたちに学ぶことの喜びや楽しさを教えてこなかったことだ。その子どもたちは今、幸いにも社会人として、人の親として、わたしを大きく超えている。「親があっても、子は育つ」だ。
それにしても、わたしの劣等遺伝子をものともしない孫娘たちが、頼もしい。