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Date:2018年04月04日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
夕暮れ時、近くの運動公園でのジョギングを終えた頃、何台もの自家用車が次々と駐車場に入っては引き返していた。自家用車からは野球のユニフォームを着た子どもたちが勢いよく降りてきては、グラウンドの方に駆けて行った。
このように親がかりで野球ができる子どもたちを見ながら、微笑ましいと思う反面、どこか複雑な気分になってしまう自分もいる。複雑な気分になるのは、親の目の届かないところで自由気ままに遊んでいたわたしの子ども時代とは、大きく違っているからだ。
市街地開発が進むにつれ、地域から空き地や路地裏などの遊び場がなくなってきた時代、それまでの子どもの遊び文化と入れ替わるようにして少年スポーツクラブが次々と創られてきた。そして、親もこれらのクラブに付添うのは当たり前という変化も起こってきた。
こうしたスポーツクラブは、子どもたちの遊びの延長線上のものであるというよりも、むしろ学習塾に通わされている感覚に近いように思える。試合があれば親子共々遠くの町へでも連れ立って行き、解散するまで親が子に付添う状態が続くのである。
昭和30年代に子どもだった我々世代は、グラウンドで野球ができるのは夢のまた夢であり、親にグローブを買ってもらえる子はわずかしかおらず、多くの子どもたちは素手でボールをつかんでいた。マイバットを持った子も珍しく、チームで1本確保するのが精いっぱいだった。ボールがないときは、新聞紙を丸く固めてボールの代わりにしていた。
それが今の子どもたちはどうだい。揃いのユニフォームを着て、高価なスパイクまで履き、グローブもマイバットも持ってやがる。グラウンドに行けば、手取り足取り教えてくれる監督・コーチもいてやがる。俺だってこんな贅沢な環境で好きな野球をさせてもらえば、プロになれたかもしれぬ(・・・つい大人気なく興奮してしまった)。
もっとも冷静に考えてみれば、一概に今の子どもたちを羨めないことに気づく。というより、彼らがおかれている状況に悲哀さえ覚える。子ども社会が喪失してしまったことの悲哀、ケモノ道のある魅惑的な自然が近辺からなくなったことへの悲哀、インターフォン越しにしか声かけができないことへの悲哀である。
そして何よりも、こうした少年スポーツクラブに入ることでしか「遊び」に近づくことができなくなったことが、悲哀だとは言えまいか。規律という拘束の中で不自由さを感じながらの「遊び」をする彼らが気の毒でならない。