【街景寸考】「ひろゆき兄ちゃん」のこと

 Date:2018年06月13日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 亡き母は、長年病院の付添婦として働いていた。付添婦とは、患者の身の回りの世話をする仕事である。患者が退院するまで休日はなく、患者の症状次第では夜中も起きていなければならない仕事であった。小学生の頃、わたしは毎週土曜日になるとバスに乗って母の働く病院へ行き、翌日曜日の夕方まで病室の中や外で過ごしていた。

 母が看ていた患者さんたちは、母に会いに来たわたしを気遣い、親切に接してくれた。その中に、今でもはっきりと記憶に残っている患者さんがいた。わたしが「ひろゆき兄ちゃん」と呼んでいた患者さんのことだ。小学5年生のときで、兄ちゃんは確か高校2年生だったと記憶している。

 兄ちゃんは片方の腎臓の摘出手術をした患者だった。腎臓という臓器は体内に2つあり、1つを摘出しても残り1つで生きていけるということを、わたしは兄ちゃんとの出会いで初めて知ったのだった。兄ちゃんは忽ち母を慕うようになり、わたしに対しても実の弟のように可愛がってくれた。

 兄ちゃんの身体が回復して外出ができるようになると、わたしを喜ばすために映画館やレストランに連れて行ってくれたり、わたしが食べてみたかった高価なチョコレートを買ってくれたりした。面白半分にわたしを連れて、病院近くの旅館に泊まったこともあった。旅館が初めてだったということもあり、わたしは傍らの蒲団に入っている兄ちゃんを見ながら、嬉々とした気持ちを抑えることができないほどに興奮していた。

 兄ちゃんが退院した後も、わたしはバスに乗って兄ちゃんの家まで行き、ときどき泊まってくることもあった。わたしたちは近くを流れる川で釣りをし、付近の空き地でキャッチボールをしたりした。夜中に二人で自転車に乗り、急な坂道を猛スピードで下ったことも忘れられない思い出の一つだ。

 兄ちゃんと共に過ごしたこれらの日々は、一人っ子だったわたしには、すべてが刺激的であり、新鮮かつ貴重な体験の連続だった。わたしは、兄ちゃんとわたしが本当の兄弟であったらどんなに幸せだろうかと、何度も思ったものだ。

 兄ちゃんとのつながりが途切れてから一年ほど経ったある日、わたしは街中で通学途中の兄ちゃんを偶然見たことがあった。学生服のホックを外し、学生帽のつばを上向きにした被りっぷりが恰好よく、わたしの目には理想の高校生像のように映った。声をかければ届かない距離ではなかったが、なぜか気後れして声を出すことができなかった。

 それから間もなく、兄ちゃんが佐賀大に入学したということを母から聞いた。