【街景寸考】避けていた疑問・自問

 Date:2018年06月20日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 先日、新幹線の車内で痛ましい無差別殺傷事件が起きた。死亡した男性は、女性を助けるために何度も容疑者を制止しようとして、切りつけられた。逮捕された22歳の男は、「社会を恨んでいる」「誰でもいいから殺そうと思った」「むしゃくしゃしてやった」などと供述していた。

 この事件報道をテレビで見ながら、10年前に起きた秋葉原無差別殺傷事件と同類のものだと思った。このときの犯人も、確か今回の容疑者と同じように「人を殺したかった」「死刑になりたかった」という身勝手な理由から事件を引き起こしている。

 無差別に殺傷事件を起こしてきた犯人には、共通点らしきものがある。非正規雇用であることや、職に就いても長続きしないこと、更には他人との交流が苦手であること、更には相談相手がいなかったということである。

 こうした境遇は、企業の利益至上主義、これに伴う非正規雇用の急増、正規雇用との格差、貧困化に加えて家族の絆や助け合いの希薄化、近隣コミュニティの喪失による孤独化・孤立化等の社会的要因が背景にあるのは確かだ。今もこうした境遇におかれる若者が、マグマのように潜在化し、いつ今回のような事件が地表に噴出しても不思議ではない状況にあると言っていい。

 ところで、この事件報道を知った当初から抱いていた疑問がある。「男性一人が容疑者に立ち向かっているときに、なぜ他の男性たちは加勢をしなかったのか」という疑問だ。同時に、「自分だったら加勢をしただろうか」という自問自答もしていた。

 テレビ各局のワイドショーでさえ、こうした疑問・自問を取りあげることはなかった。いつもは歯切れよく喋るコメンテーター諸氏も、このことに関しては一様に発言を避けていた。それほど、この疑問・自問を扱うのは難しい。

 近くにいながら加勢をしなかったとしても、そのことを誰も責めることができないという性質のものだからだ。咄嗟のことでもあるので、自分がその瞬間にどういう行動をとるべきかを判断するのは容易ではないという事情もある。

 加えて、今回の事件の場合、ナタを持った容疑者に対して素手で、しかも狭い通路で立ち向かわなければならない状況にあったので、加勢をするには余計に難しい条件下にあった。

 こうした条件下で躊躇することなく容疑者に立ち向かい、女性を助けようとした梅田耕太郎氏に対し、心より敬意と哀悼の誠を捧げたい。