【街景寸考】猛暑の中で回想したこと

 Date:2018年07月25日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 それにしても連日のこの猛暑は半端ない。猛暑とは35℃以上のことを言うが、40℃近くになる日も珍しくなくなった。わたしが子どもの頃は、真夏日とされる30℃以上の日がひと夏に5、6日あるかどうかだった。それに比べると近年のこの暑さは異常だが、そのうちこの異常なレベルの温度が「平年気温」と言われるようになるような勢いである。

 子どもの頃、外へ遊びに行く際、必ず帽子を被るようにと家の者から注意を受けていた。日射病にならないためだった。ところが猛暑が連日続くようになった昨今では、帽子を被らせたとしても、子どもを外に送り出すことには躊躇せざるを得なくなっている。

 命の危険もあるという熱中症を避けるため、一部では夏祭りなど屋外で行うイベントを中止する例も見られるようになった。肉体労働をする職場では、休憩時間にカキ氷を提供したり、休憩時間を3回から5回に増やしたりしているようだ。自宅で仕事をさせるテレワークを推奨する会社や、猛暑日手当を支給する会社も出てきた。

 わたしが働いているパート先も例外ではない。ミニトマトを栽培するハウスの中は連日40℃を超えるので、水を噴霧する設備や扇風機を数台設置したり、従業員全員に首回りを冷やすグッズを支給したりと、色々対策を講じている。休憩時間にはスポーツドリンクはもちろん、アイスキャンディーの支給もときどきある。

 それでも気分が悪くなって作業中に座り込んだり、症状が重くなって早退をしたりするという事態も起きている。こうした猛暑日が今後も続くようなら、従業員をつなぎ留めておくことが困難になり、更なる熱中症対策に重きを置かざるを得なくなるが、そうなれば多少なりとも経営に影響が出てくるに違いない。
  
 そんな中にあってわたしは、ジジイの域に達しているとはいえ、足手まといになることなく立派にパートタイマーの職分を全うしている。汗だくになり、喉がカラカラの状態になっても、高校時代の辛かった野球部の練習のことを回想することで、いくらでも我慢ができそうな気になるから不思議である。

 当時、野球部の監督が練習を終えた後、「この厳しい練習に耐えたら、必ず将来役に立つ」と断言したことがあった。定年になるまでは、「結局、あの厳しい練習は何の役にも立たなかったじゃないか」と鼻先で笑うことはあったが、まさか定年後のパート先でこの経験が役に立つとは思ってもみなかった。

 猛暑の話に戻る。この災害レベルの猛暑が今後も続くのであれば、これまでの社会生活のあり方を根本的に見直していく必要があるのではないか。この猛暑の中での東京五輪の開催は、とても正気の沙汰とは思えない。前回の東京五輪のように、なぜ10月10日開催ではだめだったのか。