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【街景寸考】最も嫌いな人間のこと
Date:2018年08月08日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
誰にでも、嫌いなタイプの人間はいる。子どもの頃、親や先生から「誰とでも仲良くできる人間になりなさい」と教えられてきたが、嫌いな子はときどき目の前に現れた。こうした教えや格言は、実現困難なことを永遠の課題にしたものばかりだと言っていい。誰とでも仲良くできる人間なんか、そうそういるはずがない。
人間としての理想を少しばかり考えるようになった頃、他人を嫌ったり憎んだりするのは寛容の心が足りないからだと思うようになった。そして、寛容な人間になるには、他人との衝突を避け、衝突をしても相手を許し、許すことができなくても仲の良い振りくらいはできなければならないと、自分に言い聞かせていた。
ところが社会に出てみると、地位や権力を振りかざすだけの卑劣な人間が少なくないことに驚いた。こういう輩を寛容な心で受け止めるには、とてつもなく広い、深い心の器が必要であり、自分にはとても無理だと思えた。
友人など利害関係のない間柄の場合は、たとえ腹の立つことはあっても直ぐに関係を修復することができるが、仕事上などで嫌いな上司などから理不尽な権力を振るわれた場合は、怒りを収めることができず何度も悔しい思いをしてきた。今も宮仕えをするほとんどの仕事人は、かつてのわたしと同じ思いをしているのではないだろうか。
理不尽な権力の行使だと思いながらも従ってしまうのは、逆らって不当な扱いを受けるかもしれないという不安からくるものであり、自分や家族の生活を守ろうとするからだ。それでも物が言えなかった自分を情けなく思い、自虐的な思いが残ることになる。
わたしの場合、反骨心が強かったせいか、こらえ性がなかったのか、嫌いな上司などには言いたいことを遠慮なく言ってしまうことが多々あった。そのため、首にされるかどうかの境目のところを幾度も渡り合ってきた。今思えば、この境目のところというのが、わたし流の生き残るための術だったのかもしれない。もちろん、運もあった。
すでに定年して仕事上の組織に属していないわたしは、権威や権力を振るわれたり、筋の通らないことを押しつけられたりすることはなくなった。カミさんの小言を除けば、心穏やかな心境で毎日を暮らしている。
加えて、齢をとってきたせいか、わがままになってきた。わがままでいられるというのも、実に心地いい。ただ、テレビ報道などで議員やどこかのお偉方が、権力に溺れて腐りきった醜態を目にするたびに、反骨の怒りを押さえ切れずに逆上の声をひとり発している。