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【街景寸考】時間感覚の違いを思う
Date:2018年09月26日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
時間の進み具合がとても遅く感じるときがある。そんなときは気分がイライラし、腹が立つこともある。例えば、面白くもない講演会などを聴いているときなんかに、そうなる。仕事先で退屈な単純作業をしているとき、もう30分は経っただろうと思って腕時計に目をやると5分しか針が進んでないとわかったときなんかも、そうなる。
要するに、自分にとって興味のない時間を過ごしているときや、自分の意志にそわない時間を過ごしているときは、時間の進み具合がやたらと遅い。「エーッ、まだこれだけしか(時間が)経ってないのかぁ」と。
反対に、仕事に追われているときや好きな野球をしているときのように、何かに集中しているときや、充実した時間を過ごしているときは、時間はあっという間に経つ。「エッ、もうこんな時間か!」という具合に。
一方、子どもの頃過ごした日々を振り返ってみるとき、1年1年がとても長く感じた感覚がある。社会人になると、仕事に追われていたせいもあり、色々な人たちとの付き合いが増えたということもあるのか、月日の進み具合が速く感じられるようになった。
それにしても、なぜ子どもの頃の月日の流れは遅く感じたのだろうか。大人のように時間に追われる生活をしていなかったということもあるが、それにしても子どもだから「ボーッ」と生きていただけではなかったはずだ。好奇心が旺盛な時期でもあり、色々なことに興味を持ってあれやこれやと行動していたはずなのに、なぜ。
思うに、子どもの頃は過去や未来を遠いことのように捉える性質があるからかもしれない。つい10年ほど前に太平洋戦争で日本が米国に負けたことを、大昔の出来事のように感じたのも、小学生のときに自分が中学生になるのが遠い未来のように思えたのも、そういうことではないのか。加えて、大人のように1日や1年を意識しながら生活をしているわけではなかったということもある。
では、隠居同然の生活を送っているわたしの場合はどうか。不思議なことに、家の用事などに追われているわけではなく、むしろ「ボーッ」としている時間が多くなっているはずなのに、月日の進み具合が働いていたときと同じ速さのように感じるのである。これはおそらく、お迎えが近くなってきたという潜在意識と無関係ではないのかもしれない。
時間感覚と言えば、外国には日本とは違って時間にルーズな国々が多い。こうしたルーズとも思える時間感覚は、過去と未来を夢想しながら現在という時間を寛容に生きてきた先祖からの積み重ねによるのではないかと思うことがある。いわゆる精神風土によるものだと。ときどきそういう時間感覚が羨ましいと思うことがある。