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【街景寸考】レディファーストのこと
Date:2018年10月03日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
小学生の頃、「うちのママは世界一」というアメリカのホームドラマをテレビで何度か見たことがあった。夫婦と2人の子どもがいる中流家庭の日常を描いたドラマだった。中流家庭とは言っても、昭和30年代の日本の一般家庭とは異なり、玄関ホールもリビングもラジオ体操ができるほど広く、ダイニングキッチンも明るくて清潔感に溢れていた。加えて巨大な冷蔵庫にいたっては、裕福なアメリカの象徴のように思えた。
異なっていたのは家の規模や造りだけではなかった。眩しいほど美しいママの存在であり、そのママや子どもたちに優しく接する理知的なパパの存在だった。外出の際、いつもパパはドアを開けてママを先に通した。他にもママに先を譲る場面が多くあり、男性が女性に気遣う習慣を持つアメリカという国が、日本よりはるかに高等な国のように思えた。
女性を優先するこうした行為を、レディファースト(語源の意味は別として)だということを知ったのは数年経ってからだった。ところがレディファーストは、日本に民主主義が定着してきたようには定着しなかった。その背景には家父長制や男尊女卑の時代が長かったせいだと思われるが、日本男児特有の照れや不器用さもあったように思う。
ところが後年、そのアメリカで男性と同等の権利を求めるウーマンリブやフェミニズムの運動が行われるようになった。こうした動きが「高等な国」で行われていることを知ったときは、複雑な気持ちになった。レディファーストの慣行とは裏腹な実態だからである。アメリカでさえ男女平等は名ばかりで、実は日本と同様に差別が行われている国だったのだ。
それでも、レディファーストが単に女性の気を引くためのパフォーマンスだとは思いたくなかった。ホームドラマで見たパパのママへのリスペクトや思いやりは本物であり、男女個々の関係ではお互いフェミニストになり得るのだと思いたい自分がいた。
現在、男女差別が禁止され、雇用面でも平等であるべきとする時代になった。看護婦が看護師に、スチュワーデスがキャビンアテンダントという名称に変ったのもこうした背景によるものだ。こうした背景をよしとしながらも、心配も少しある。それはレディファーストという考え方までが、平等という大義の下で軽んじられるような気がするからである。特に、この大義のせいで「かよわい女性」までが、社会のあちこちで粗雑に扱われるようになるのではないかと危惧したことがあった。
ところが、それが杞憂であったことを知る機会があった。あるテレビ番組の女子会談議でのことだった。彼女たちは口を揃えて「この世の中には、かよわい女性なんて一人もいませんよ!」と断言していたのである。
この言葉は意外に思えたが、何かの呪縛から解放された気がしないでもなかった。