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【街景寸考】「横綱はつらいよ」のこと
Date:2018年11月21日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
大相撲九州場所で横綱稀勢の里が初日から4連敗し、休場することになった。横綱という地位は最も強い力士に与えられる称号であり、大関以下の力士に対しては勝つのが当たり前のように期待されている。その横綱が先場所は10勝こそしたものの、それまで長く休場が続いた経緯があっての4連敗だったので、大相撲ファンは心底がっかりしたに違いない。
横綱というのは、この上なく名誉な地位ではあるが、その一方で辛くて酷な地位だとも言えなくもない。毎場所優勝争いに絡むことを要求され、最低でも10勝していなければならない。たとえ10勝をしてもそれが毎場所のように続けば、やはり風当たりは強くなる。
しかし、横綱と言えども所詮生身の人間である。体調の悪いときもあれば、怪我が祟って力を出し切れない場所もある。それらが原因で負けが込んでも横綱にふさわしくないとして休場を強いられ、休場が続けば周りで引退の声が飛び交うようになる。最も気の毒なのは、一旦引退してしまうと二度と力士を続けられなくなるということだ。
これがテニス、バドミントン、ボクシングなどであれば、最高位のランクを奪われても選手生活を断たれることにはならない。それに比べ横綱の場合は、たとえ20代の若者だったとしても再チャレンジの機会は二度とない。これまで横綱に推挙されてきた大関の中には、この理不尽な制度を前に大いに葛藤した者がいても不思議はないはずだ。
気の毒なことはまだある。横綱には高い品格が常に要求されているということだ。気は優しくて力持ちでなければならず、土俵上では美しく勝たなければならない。勝っても勝ち誇ることなく、相手力士に敬意を払わなければならない。横綱というだけで20代、30代の力士が心・技・体を兼ね具えていなければならないというのは、死ぬほど窮屈に違いない。
例によってバラエティ番組では4連敗の稀勢の里を餌食にし、横綱の責任がどうのと無責任に連日騒ぎ立てていた。こうした番組を見るとはなしに見ているだけでも気が滅入っていたが、「このままでは終わりたくない」という稀勢の里の来場所にかける真っ直ぐな思いを知り、少し救われた気持ちになった。
それはさておき、横綱の責任のことで言っておきたいことがある。例の元横綱日馬富士の暴行事件のことだ。あのとき日馬富士が1、2発殴ったところで白鵬が止めに入っていたならば、おそらく貴ノ岩は頭を縫うような傷を負うことはなく、日馬富士も横綱を辞めるまでには至らず、ひいては貴乃花親方も理事解任などの重い処分を受けることにはならなかったはずである。
わたしが知る範囲では、相撲協会もメディアも白鵬のその責任を問題視することは微塵もなかったように思う。今もそのことで釈然としない気分が続いている。