【街景寸考】お見合いのこと

 Date:2018年12月19日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 自由恋愛が一般的な時代になったとはいえ、相手に結婚したい気持ちを伝えるのが不得手な人はまだまだいる。更に、恋愛の場合、交際相手が本当に結婚の意志があるのかどうかを見極めにくい場合もある。こうした心配をすることなく結婚することができるのがお見合いだと言ってもいい。

 お見合いに臨んでいるということ自体、お互いに結婚願望があることを了解していることになるので、相手を気に入りさえすれば、結婚したい意志を仲人に伝えるだけで済む。後は結婚を前提とした交際をし、結婚へと準備を進めるだけだ。「この辺りで手を握っておくべきか、あるいはキスまでしておくべきか」というようなややこしい神経を省略できる。

 どちらか一方が相手を気に入らなかった場合でも、お見合いというかたちであれば、仲人を通して断ることができる気安さがある。本人同士が対面しなくてもよいので、断るときの気の毒さや、断られたときの傷心を和らげることができる。

 近年、そのお見合いのかたちも変化し、民間の結婚相談所や自治体などが主催して集団見合いを行うようになった。集団見合いは1対1の見合いとは異なり、開放的で自由な雰囲気があるように思える。家柄や職業などの、つまらない条件や制約もなさそうだ。

 一方、結婚のリスクという点では、恋愛よりもお見合いの方にリスクがありそうだ。交際期間が比較的短いので、相手の人間性もよく分からないまま結婚してしまう恐れがあるからだ。そういう点では、お見合いにはバクチ性があると言ってもいい。

 わたしとカミさんは恋愛結婚だった。恋愛結婚だったが、カミさんにとってはお見合い以上の大バクチだったのかもしれない。相手(わたしのこと)は定職に就いているわけではなく、素性もいい加減にしか伝わっておらず、貯金ゼロのことも知らなかったからだ。貯金ゼロのことでは、これまで一度もカミさんは不満らしき言葉を吐いたことはなかった。

 ところが先日、買い物帰りの車中で、わたしが娘婿のことを「彼は長女と結婚したときは貯金ゼロだったが、いい奴で本当に良かったな」という話をしたときのことだ。カミさんは間髪を入れずに「あんただって無一文だったくせにー!」と声高に言い放ったのだ。

 娘婿を卑下したように誤解したカミさんが、婿可愛さにわたしを責めたのだったが、図らずも同時にわたしが貯金ゼロだったことまで持ち出したのだ。確かに娘婿の貯金ゼロは不要な言葉だった。

 このときのわたしは、娘婿のことを褒めてやりたかっただけだった。思わぬ突っ込みを食らったわたしではあったが、40年前、婚約指輪や結婚指輪、更にはウェディングドレスまでカミさんが貯金をはたいて買ったことを思い起こし、言葉を返すこともなく黙ってハンドルを握っていた。