あれこれオーストラリア探訪「Meditation/メディテーション」

 Date:2014年05月07日10時08分 
 Category:地域(海外) 
 SubCategory:あれこれオーストラリア探訪 
 Area:指定なし 
 Writer:三陽生人
 オーストラリアでの生活は、見知らぬ人との出会いが楽しみの一つでもあり、その出会いを求めていろんなところに顔を出すことにしているが、インターネットの交流サイトを利用することも多い。英語が得意でないことを逆手にとって言語交換(Language Exchange)サイトも利用している。日本語を学びたいと思っている人は意外に多く、このサイトに登録することでいろんな方からメールが届く。当然、サイトへの登録には自己紹介が必要なのだが、ここの書き方がサイトを上手く活用できるかどうかの鍵を握っている。

 多くの人は自分の趣味を書いているので、同じ趣味を持つ人を見つけてメールのやりとりを始め、その後、どこかのカフェなどで言語交換の勉強をする。私の場合、これといった趣味もないので日本の伝統的なメディテーション(瞑想)を教えますよと書いている。日本人だとほとんどがスルーしそうなテーマなのだが、ここオーストラリアではこれが意外に受けるから面白い。思うに、オーストラリア人は日本人に比べストレスに弱い人種なのかも知れない。怠け者というと叱られそうだから、彼らがよく使うレイジーと書いておくが、彼らは本当にレイジーだが、それでも多くのストレスを抱えている。仕事では残業など決してしないし、年に4週間くらいの連続休暇を当たり前のように取る連中に、何のストレスがあるものかと思いたくもなるのだが、ストレスによる精神不安を訴える人が多いのは事実なのだ。多分にそれが影響しているのだと思うが、その解決策の一つとして彼らが取り組むのがメディテーションなのだろう。

 有料でメディテーションを教えるクラスは山ほどある。たまに生徒集めの広告替わりに無料で行われているクラスに参加してみるが、私にとってはなんとも怪しげに感じるものが少なくない。インストラクターは女性が多そうだが、メディテーションの間、ずっと何かを語り、参加者の心がリラックスするように誘導していく。どこに誘導されようとしているのか、皆目英語だからわからないという笑えない状態が続く。中にはマントラを唱え歌い踊りながら瞑想するというインド古来の瞑想法もここオーストラリアでは盛んだが、どうも私には性に合わない。

 そうした中で、わたしがボランティアで日本の伝統的なメディテーションを教えるという情報は彼らにとって魅力的であるようだ。因みにわたしが教えるメディテーションは精神を集中する「中」なる場所、精神を統一する「一」なる場所を教えることから始まる。呼吸法を使って気を練る方法は禅宗の座禅に極めて近い。日本ではメディテーション(瞑想)といえば「禅」を想起させるが、只管打坐(しかんだざ)の曹洞禅や公案の臨済禅、天台止観のように、ひたすらに座るという瞑想法があまりメジャーではないだけに、わたしが教える瞑想法は彼らには魅力的であるようだ。

 相変わらずの英語力だからこそ利用できる言語交換サイト。メディテーションがキーワードで繋がる出会いは、私にとっても彼らにとってもお金では買えない宝物だと言える。



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